違和感の正体

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初代中山富三郎の松下神酒之進娘宮ぎの                 三代目沢村宗十郎の大岸蔵人

写楽の大首絵は黒雲母刷りを使っていますが、刷り全体は色数を抑えていて、かつ大首絵というクローズアップの絵なので、一見情報量が少ないように我々は感じます。
しかし実際は情報量が多く、またそれらが矛盾しているので、我々は混乱し違和感を感じ不気味に思うのです。
 通常の暮らしの中でも視覚情報が過剰だと、脳内で処理しきれないという現象が発生します。
一つの例としてきっぷの券売機のモニターが分かりにくくて難儀するというのがあります。私も経験があります。後ろに行列が出来ていたり、時間の余裕がない時には焦ってしまいます。

上の画像はJRの自動券売機ですが、他にも某ファストフード店の食券の券売機の前でフリーズしたという話はよく聞きます。(紙による視覚情報、すなわち反射光で目に入ると脳が分析モードになるのに対して、モニターのように透過光による視覚情報だとパターン認識モードになるので間違いが生じやすいという説があります)。このように、情報量が多い画像・絵を前にすると強い違和感を感じることがあります。
 さて東洲斎写楽の大首絵を、初めて手に取って見た人は(寛政年間に蔦重の店先に買った人も)同じように、御贔屓の歌舞伎役者に似ていると思いつつも、これらの絵に違和感を感じたはずです。それ故太田南畝の浮世絵類考に「あまりに真を描かんとて あらぬさまにかきなせしかば 長く世に行われず 一両年にして止ム」とあるのです。
 時代は下って大正15年発行の新小説八月特輯號「浮世絵趣味號」の中に、井上和雄氏による「写楽の特徴」という一文があります。その中に「彼れの役者絵に初対面の時は、全くエタイの知れない薄気味の悪いものだと思ふ。それが二度目になると何となく底力があるなと感ずる。更に三度目に於いては、非常に確実性をもつた絵だなと敬服する。」とあります。
 この感覚を持つ原因は情報量の問題以外に「不気味の谷現象」が関わっているのではないかというのが私の考えです。
不気味の谷現象
不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう)とは、美学芸術心理学生態学ロボット工学その他多くの分野で主張される、創作に関わる心理現象である。外見写実に主眼を置いて描写された人間立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもので、共感度のチャート上の曲線が断崖のように急降下する一点をに喩えて不気味の谷 (uncanny valley) という。不気味の谷理論とも。元は、ロボットの人間に似せた造形に対する人間の感情的反応に関して提唱された。wikipediaより
この現象に関してサトマイさんのyoutube動画の中で、非常に示唆的なものがありました。

↑はサトマイさんの動画で紹介されている「赤いきつね」のCMです。

 普通のアニメの図柄の女性キャラクターと、AIで作成した3DCGのカップ麺やテーブル等の画像、そしてリアリティのあるお揚げや麺などの描写がCM全体の流れとミスマッチしていてある種「不気味さ」を生じさせているのではないでしょうか?

サトマイさんの動画では簡単絵→イラストの似顔絵→AIで作った画像と、順を追って「ここで一気に不気味になる」特異点をあげて考察されています。

これを写楽の大首絵にあてはめますと、他の浮世絵師による普通の浮世絵は顔が二次元的・平面的・類型的であるのに対し、写楽の大首絵は三次元的・立体的・個性的であり、特に顔がお面をかぶっているように感じられる点と「目」の異質さが「不気味さ」を醸し出していると言ってよいのではないでしょうか。

面白いことに、サトマイさんの動画に「不気味さを感じた人が後でその理由付けをしがち」という指摘があり、これは「写楽は誰だ?」という謎に、多くの別人説が生まれるいわば隠れた動機になっているのではないかと思います。つまり不安定な違和感を早く解消したいという心理が働くわけです。そして写楽の特徴である「情報量の多さ」、それらに対応する特徴からそれぞれ導かれる「写楽=別人説」が数多く登場したのではないかと考えられるのです。
 次回は写楽大首絵の「目」について取り上げます。

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